プロセキュート
【第3回】主な実施内容
テーマ : 『社会科学における人間』(大塚久雄)
実施日時: 2005年6月25日(土)15:00〜18:00
2時間の予定を延長して3時間かけて行いました。
様々な内容がふんだんに盛り込まれており話題にするテーマに事欠かない一冊です。
18〜19歳の学生時代に読んだ一冊でもう一度読むには2〜3時間あれば充分と思っていましたが、全く経営や経済活動の経験のなかった学生の時と異なり、それなりの経営経験を重ねた今読むと様々な現実の経済活動や付き合いのある会社が思い浮かんでじっくり10時間ほどかけて思索しながら読んでいました(^^ゞ

正直な気持ちとして感じたことですが、以前から、相手によっては私が経営の根幹として訴えている理念や信条等を全く理解できない方が存在し、哲学の不在を感じることが多々ありました。
今回改めてこの『社会科学における人間』を読み返したことによって、私が訴える経営のスタンスを理念化することが全くできない、理解することさえできない経営者が歴史的に存在することが整理、再認識することができました。

大塚久雄氏自身も書いていますが、書かれていることがすべて現実の社会に当てはまるということではありません。大塚批判もウェーバー批判同様厳然と存在します。
しかし「木を見て森を見ず」では本末転倒です。現実の生活に何らかの貢献があってこそ社会科学の存在意義があるのであって、社会科学によって法則性が解き明かされるものでもなく、そんなことを期待するのも批判するのもいずれも正しくないことを申し添えておきたいと思います。

そのうえで大塚久雄氏が予測した悪しき近未来像にならないよう努力を続けることが私達の使命であると私は思っています。

内容概要: 1976年から77年にかけてNHK教育テレビの大学講座で25回にわたって行なわれた同名の連続講座を書籍化した作品。77年6月に初版されて以来読まれ続けている社会科学の入門書とも言うべき一冊である。

大塚久雄氏は冒頭このように述べている。「私のばあい、社会科学における人間の問題はなによりもまず人間類型という立場から論じられることになりますので、その人間類型論が中心論点となってくる」と。

また「社会科学における理論的思考、つまり社会科学的理論を構成して、それによって社会現象を整序し把握していこうとする、理論的思考の中で、人間がどういうふうに位置づけられ、関連づけられ、そしてどのように取り扱われているのか」が問題であるとしている。

まず序論で「人間類型とは何か」を述べた後、第一章で「ロビンソンクルーソー」に近代資本主義社会における経済人の人間類型を見出していく。それは単なる偶然ではなく当時のイギリス社会を正確に反映させて理想的な市民の姿(中産的生産者層)をデフォーが描き出したものであると展開。多分に呪術的要素も含む伝統主義から決別した人間層の出現であるとしている。「ロビンソンクルーソー漂流記」は誰もが一度は本やアニメ等で触れたことがある作品である。
またその対極に「ガリバー旅行記」があることも指摘している。

第二章では「マルクスの経済」において人間というものがどのように位置づけられているかに論及しながら、「ロビンソン的人間類型」がマルクスが理想とする社会モデルであったとして、マルクス理論の中に人間類型論の萌芽が見られると展開する。
下向過程と上向過程を通してマルクスがいう社会現象は人間の絡み合いであることを紹介。マルクス経済学の全容を解きほぐすことが主眼ではないためそのことに字数は割かれていないが、一般的に思い込んでいるマルクス経済学のイメージには本質的に間違っている部分があることに気づかせられる。
これは多くの人にとって「目からうろこ」の発見になるのではないか。

第三章では、「マックスウェーバー」理論において人間類型論がひとつの結実を見たとする「大塚人間類型学」とも言うべき本領発揮の講義が展開されている。
大きく前半では名著「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」を取り上げて資本主義社会における時代を構成してきた人間類型にせまる。
隣人愛の実践と中産的生産者層の利潤の追求の間に選択的親和性を見出す。
後半では「世界宗教の経済倫理」での各種の二宗教間比較を通しながら、社会形成の基盤には人間があり、更にその基盤に宗教を見出している。
ここではロビンソン的人間類型がすべての社会に適合するものではないこと、村落共同体的社会においては独自の人間類型が見出されるべきだとするウェーバー理論を紹介しながら比較文化論の展望と調査におけるヴァイアスの問題にも触れる。
東洋の英知を受け継ぐ私たち日本人としては、西洋的思考のみに傾倒する危険性を自覚する一助にもなるだろう。

最後の「展望」の章においては、展開してきた話はウェーバー等も含めてひとつの説に過ぎないことを述べ、「ただ鵜呑みにするのではなくて、われわれの頭脳を通して十分に批判的に検討しなければならない」を告げると共に、今後の社会を3つの可能性で予測している。

ディスカッションにのぼった主なテーマ:
・誤った人間類型、類型把握のイメージを修正する
・事柄を定義するということ
・独自な文化的サナギの持つ意味
・自然との関係と人間と人間との関係
・ロビンソンクルーソーの生きた時代
・都市の衰退と農村工業の分散化
・マニファクチュアと産業革命
・ロビンソンの父親の言葉の持つ意味
・『ロビンソン物語』と『ガリバー旅行記』
・目的合理性と形式合理性
・伝統主義とは?伝統の尊重との違い
・なれのはての経済人
・マルクスが説く「人と人との関係が経済現象の本質だ」
・物の動きが経済活動の中心では?
・「自然発生的分業」が分かれ道
・ロビンソン物語に見つける計画経済の原型
・村落共同体的人間類型の存在
・「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」の本質
・「資本主義の精神」と「資本主義精神」の決定的相違
・中産的生産者層が二分された意味と残された人達
・ウェーバーの「禁欲」と日本人の「禁欲」のイメージ格差
・隣人愛の実践の結果としての資本主義活動
・「べルーフ」に込められる意味
・「プロ倫」「世俗内禁欲」から離れた資本主義の精神
・現代の経営者は3つに層別される
・「精神のない専門人」「信条のない享楽人」を防ぐ方途は
・宗教意識はどのような影響の下で歴史的に形成されるか
・社会、個人と宗教の関係性に見る「選択的親和性」
・ファンダメント(土台)としての宗教の位置付けとは   等々

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