はじめに |
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9 |
第1章 |
人間の生命の根本矛盾 |
29 |
第2章 |
生命の矛盾は人類によって大昔から意識されてきた。人類の啓蒙家たちは、この内的矛盾を解決する生命の定義を人々に明らかにしてきたが、ファリサイの徒と書物の徒がそれを人々の目から隠している。 |
34 |
第3章 |
書物の徒の思い違い |
40 |
第4章 |
書物の徒の教えは、人間の生命全体の観念に動物としての生存の目にみえる現象だけを当てはめ、そこから生命の目的に関する結論を引き出している。 |
43 |
第5章 |
ファリサイの徒と書物の徒の偽の教えは、本当の生命の意味の説明も、生活の指針も与えない。生活の唯一の指針になっているのは、合理的な根拠を持たない生活の惰性である。 |
47 |
第6章 |
われわれの世の中の人々における意識の分裂 |
55 |
第7章 |
意識の分裂は動物の生命と人間の生命とを取り違えることから生じる |
59 |
第8章 |
分裂や矛盾はない。それが現れるのは、偽りの教えのもとにおいてだけである。 |
64 |
第9章 |
人間における真の生命の誕生 |
67 |
第10章 |
理性は人間によって意識される法則であり、人間の生命はそれに従って実現されなければならない。 |
71 |
第11章 |
知識の誤った方向 |
74 |
第12章 |
誤った知識の原因は対象をとらえる誤った遠近法である。 |
80 |
第13章 |
対象に対する認識の可能性が増大するのは、対象が時間と空間の中に現れ出ることに依るのではなく、我々と我々が研究する対象との従っている法則が一致することによる。 |
86 |
第14章 |
人間の真の生命は空間と時間のうちに生じるものではない。 |
93 |
第15章 |
動物としての個の幸福を放棄することは人間の生命の法則である。 |
99 |
第16章 |
動物としての個は生命の道具である。 |
103 |
第17章 |
霊による誕生 |
107 |
第18章 |
理性的な意識が求めるもの |
110 |
第19章 |
理性的な意識の裏付け |
115 |
第20章 |
個の要求は理性的な意識の要求とは相いれないものらしい。 |
120 |
第21章 |
必要なのは個を放棄することではなく、個を理性的な意識に従わせることである。 |
124 |
第22章 |
愛の感情は理性的な意識に従属した個の活動の現れである。 |
130 |
第23章 |
愛の感情の発現は、生命の意味を理解していない人々には不可能である。 |
135 |
第24章 |
真の愛は個の幸福を放棄することによってもたらされる。 |
146 |
第25章 |
愛は真の生命のただひとつの完全な活動である。 |
152 |
第26章 |
生存のありえない改善に向けられている人々の努力は、人々からただ一つの真の生命の可能性を奪っている。 |
156 |
第27章 |
死の恐怖は生命の未解決の矛盾の意識にすぎない。 |
161 |
第28章 |
肉体的な死は空間のうちにある肉体と時間のうちにある意識を滅ぼすが、生命の根本を成している、それぞれの生きものが持つ世界に対する特殊な関係を滅ぼすことはできない。 |
168 |
第29章 |
死の恐怖が生じるのは、人々が誤った見方によって自ら限定した生命の小さな一部を生命とみなしているからである。 |
177 |
第30章 |
生命は世界に対する関係である。生命の運動は新たな、より高次の関係を確立することであり、したがって、死は新たな関係に入ることである。 |
182 |
第31章 |
死んだ人々の生命はこの世界で終わるわけではない。 |
186 |
第32章 |
死という迷信は、人が、世界に対する自分の様々な関係を混同することからはじまる。 |
195 |
第33章 |
目に見える生命は、生命の限りない運動の一部である。 |
201 |
第34章 |
地上の生存がもたらす苦しみの不可解さは、人間の生命が、誕生によってはじまり死によって終わる個の生命ではないことを何より説得力を持って人に証明する。 |
209 |
第35章 |
肉体的な苦痛は人々の生命と幸福の不可欠な条件である。 |
222 |
結び |
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228 |
付記1 |
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230 |
付記2 |
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233 |
付記3 |
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236 |