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今回は政治小説、ノンフィクション小説(言葉としては少し矛盾する表現ですが^^;)として著名な『小説吉田学校』を取り上げます。
この作品は第二次吉田内閣が誕生する直前の昭和23年10月から始まり大平正芳第68・69代総理大臣の逝去後の史上初の衆参同日選挙で自民党が圧勝するまでの日本政界における保守政党の動向を描いた全8巻で構成されている長編作品です。
今回の桂冠塾では最初の1巻目にあたる第一部「保守本流」をテーマにします。
まだ日本がGHQによる占領下にあった昭和23年10月。
昭電疑獄によって崩壊した芦田内閣に代わる政権として自由党・山崎首班を画策するGHQ民生局次長ケージス発言から物語は始まります。
そこにはGHQ内部の対立、GHQと政治家との駆け引き、日本の政党間の対立、そして自由党内での党人派と官僚出身者との対立等々...数々の複雑に錯綜した人間模様が繰り広げられていました。
そんな微妙なバランスの中で吉田茂による第2次内閣が誕生。数々の制約条件の中で吉田内閣は事前の予想を大きく上回って衆議院総選挙に大勝利、吉田自ら手作りした新人議員を誕生させ吉田第3次内閣を強引に組閣していきます。
名実共の吉田学校の始まりであります。
そして吉田茂には政治家としての目標があった。
それは、自分自身が政権の座にあるうちに講和会議を招集させ、平和条約締結を実現させるのだとの確信。
吉田はその目標を実現させます。
その経緯の中でアメリカ軍駐留、日本の再軍備化の阻止と自衛隊(警察予備隊)の創設等を柱とした日米安全保障の骨子が形作られていきました。
そうした世界秩序を左右する動きのそばで日本憲政の保守本流を決する動きも活発化していきます。吉田茂と鳩山一郎との対立、後世とみに有名になったバカヤロー解散、鳩山一郎、岸信介らをはじめとする追放組の復権、吉田学校同期の池田隼人と佐藤栄作の決戦等々。
読み進めるにつれて、国家の大計と政治家個人の確執が同一レベルで扱われるような倒錯した感覚に襲われます。
これが日本政治の実態なのか。
そもそも政治とは何を目指して何のために行われるべきなのか?
政治における保守、つまり「守るべきもの」とは何か?
その本流とはいかなるものか?
私達は意外と狭窄な認識で物事を理解しているような気持ちになっているのかもしれません。
7月11日には参議院議員選挙の投開票日を迎えます。
昨年夏の衆院選で民主党大勝利によってもたらされた政権交代から10ヶ月。鳩山・小澤辞任で誕生した菅内閣は党首討論や予算審議を行うことなく選挙戦に突入。トップの顔が代わったことでV字回復した民主党支持率も下落。多くの国民は今の政治家に多くを期待してはいけないのかもと思い始めたのかもしれません。
理念なき迷走の中で多くの国民は政治へのあきらめ感を増大させてきたという懸念。そして日本の政治が憲政史上最悪の迷走を始めているかもしれないという危機感を感じている人が少なからずおられるのではないかと私は感じています。
私たちはこの混迷を抜け出す光明を見出すことができるでしょうか。
何を基準に何を目指して政治理念を定め、具体的な投票行動を決していくべきなのでしょうか。
日本の戦後政治の源流ともいうべき吉田茂から始まる玉石混交の政治家達の権力闘争と生き様を追うことで、今後の日本における重大な局面での私達自身の政治判断の一助になればという気持ちも込めて、今一度『小説吉田学校』を読んでみたいと思います。
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